リファレンス先の一部バックアップ

 をして、軽くお茶を濁しつつ更新。

■2011/03/24 (木) インフィニット・ストラトス 1〜4話

「学園もの」は日本のオタク文化圏において「ロボットもの」「魔法少女もの」などと同じジャンル名で、つまり「学園」は「ロボット」や「魔法少女」と同じラインで語られる。ロボットのデザインが変遷するように学園のデザインも変遷するし、魔法少女の概念が細分化し幾重にも積み重なって複雑な文脈を形成するように、学園の概念もまた複雑な文脈を形成する。

 銀河美少年が軸足を置いているのがあくまで「ロボット」の側であるのに対し、ISは「学園」に軸足を置く。昨今はデジタル作画の普及で学園風景の近未来化的な装飾が流行しているが、ISの世界観はそうした近未来的学園風景に根ざすことで成立しており、ISというパワードスーツもまた学園を彩る素材としてある。ロボのトゲや角や必殺武器、魔法少女の変身グッズと似たような位置づけだと考えれば理解しやすいかもしれない。90年代の機械化学園ものでは、学園そのものが宇宙ステーションや軌道エレベーターだった。現代の学園は、校舎などの外見は一般的な学園に準じた建築物でありつつ、生徒の身体に近未来機械を貼り付ける。これはおそらく、制服というより校舎に近しい意味合いでの学園の一部だ。

 こうして見た場合、学園内で男子生徒が主人公一人である理由も見えてくる。今どき男女共学の学園だろうと主人公一人がモテハーレムを形成するのが当たり前なので、ハーレム形成が目的だと断ずるのは誤りだ。むしろ恋愛を主軸としないためにベタ惚れファースト幼なじみ、ベタ惚れお嬢様、ベタ惚れセカンド幼なじみなどベタ惚れを最初から打ち出し、女性多数男性一人の特異性をカムフラージュしていると考えられる。重要なのはISの装着が基本として女性と対でなければならない、つまりパワードスーツをただの軍服や制服にしないための「装着者の身体的なか弱さ/装備の強力さ」の対比の強調を狙っていることであり、そしてまた、ISが単なるファッションに堕し単なる百合カップルものにならないよう、「力」を指向するエッセンスとして男性主人公が用意される。しかしその「力」は大前提として去勢されている。ISが学園の拡張である以上、学園ものの範囲でしか、ISの能力は必要とされない。

およそ全てが学園のために組織されているという意味で、ISはユートピア的なディストピアだ。ISに乗るために暗記させられる教本の絶望的な分厚さだけが、夢から目を覚ませと語りかけているのである。

■2011/03/29 (火) スタードライバー 輝きのタクト

 キラ星とかゆってるわりに、登場人物らがあまりはっちゃけない。アンニュイとデカダンと、あと言うほどもない単なる遅延で、殆ど全ての登場人物がほどよくダラけており、結局、その対比として相対的にタクトが輝いてみえる、というような位置づけ。あるいはタクトを輝かせるために、他の登場人物のはっちゃけが抑え気味になってる。どいつもこいつも好き勝手に自己主張するたぐいの熱量には欠けているし、落ち着いた雰囲気を味わうにはキンキラの飾り付けがちと多すぎる。

 キラ星の女性陣はみんな「裏があって言い寄ってるんですよ」的な言い訳ばかりが先に立ちすぎていて、本気でタクトに言い寄ってるように見えない。タクトくんは、IS学園にただ一人の男子生徒として入学し、箒やセシリア、シャルらとの学園生活を送っている状態でもって「やりたい事とやるべき事が一致する時、世界の声が聞こえる」と宣言すべきだった。シャルに「タクトくんの、えっちぃ・・・」などと呟かれ、一緒のお風呂で背中が胸にあたり、なんかもぉ辛抱たまらん状態でもってこそ、「セカイの声がきこえる!」と咆えてて欲しかった。

 相対的でしかないような少年の輝きなんて、ちっとも輝いてみえないと、思いませんか。

■2011/03/31 (木) インフィニット・ストラトス 5〜10話

 ペロペロペロペロ(以下100行略

■2011/04/09 (土) スタドラ最終2話

 コードギアス、というか谷口悟朗は悪い影響を残したなあ、もしくはコードギアスの欠点を綺麗に引き継いだなあ、といった。

 ゴローちゃんの悪癖はインタビューでも口に出して言っちゃってる「群像劇好き」で、しばしば投げっぱなし・話に多少なりとも食い込む間もないまま「こいつなんで居るの」となる。リヴァイアスの頃からキャラを無闇にばら撒いて、最初からまともに回収する気がない。キャラ萌えのムーブメントにタイミング的に重なってしまった結果、キャラをまとめて絞り込むよりもキャラを増やしファンの受け皿を増やすバランスへ偏ってる。

 それを律してるのが、非常に強固かつ徹底した男尊女卑感覚とゆーか「女は良妻賢母型とビッチの二種」「作劇的には男を装飾するオプションパーツ」という女性観で、「女はいくら増やしても話の本筋に絡まない」「男は余ったら女の世話をさせとけ」とゆー、まあなんつーか女性キャラ過剰な昨今のアニメ作品において、結果として非常に判りやすい軸のぶれなさを演出していて、そのへんで、他の「男に都合のいい(女にも買ってもらえる)男女同権な作劇ってドウヤレバイインダロウ」とゆー無駄なあがきを嘲笑い軽々と飛び越えてしまっているかに見えた、ということなのだろう。

 で、スタドラ。女性陣の貞操観念が、なんか無闇に固い。男遊びしてても純情純潔なのよ、とかなんかそーゆーのが多いし。そんでワコに「二人のうちどっちにするの」などと彼氏持ち(一人のカレにベッタリ寄り添ってて本筋に絡む気配は少しもない)に何度も言わせてしまうあたり、実に気持ち悪い。そんな話題、えんえん2クール引っ張るほど重大な話でもなかろう。とっとと3人でスワッピングを毎回楽しんでればいいのである。そんでケイトを4Pに誘っとけば済んでた話だったのだ。

 べっつに、なんでもかんでも男女同権を念頭にいれとくべきとは思わない。谷口悟朗作品だって「ああ、そーゆー人なのね」と了解して終わり、という程度のもんである。それをさも「乗り越えるべき前作」のような扱い方をして中途半端さに堕し、小賢しい言い訳で飾んないとナニをやってんだかわかんない小粒感が、いかにも没落貴族に憧れて真似するプチブル臭くて、ナニを気取ってんだこいつら感がいや増す。

 時代が保守反動へ流れてくなか「男女関係はこうあるべきとゆー常識」を振りかざす手合いが「オトコノコの復権」という美名のもとに出張ってくるのだろう。嫌な時代になったもんである。

■2011/04/25 (月) IS最終2話

 11話では大爆笑していたが、12話は第2部いきますぜ! とゆー色気が目立ってしまい、のれなかった。

 続編作るときは最終話なんざなかったことにしてしまう、ぐらいの暴走があっていいと思う。

■2011/05/07 (土) インフィニットストラトス通し。

 普通に見るならメカ物アニメとしては素多銅鑼(と勝手に変換した)よりかISのほうがまだしも頑張ってると思う。その二者を特に取り上げる必然性もないが、ネタ消費されるだけなのは流石に不憫かにゃあ。

 つーか全体構成からして明らかに箒メインで話を作ってるので箒主人公で読むのが当たり前でないかと思うんだけども。セカンド幼なじみとファースト幼なじみのような語られ方をされる、とゆーシチュエーションからして、箒にとってのアイデンティティクライシスとして作られてるわけで、そうすると、ギャルゲのテンプレヒロインとして守られていたはずが、ギャルゲフォーマットからラノベフォーマットへ移行してった結果、守られるだけのヒロインではいられなくなる話で。姉が作品世界の現状から作中のシナリオ展開まで、ほぼ全てをお膳立てして管理しまくってるあたりも悪意丸出しだし。

 アニメのトレンド語りをしたいというなら、セカイと視聴者から阻害され窒息しかけてる娘さんの物語として「ナントカ年代のトレンドを掬って鋭く見据えた作品」として評価してあげてもいいんじゃないかしら。