後藤羽矢子考。

 自分の中にある「ももせたまみは大丈夫なんだけれど、後藤羽矢子はちょっと……」という感覚について、いくつか後藤羽矢子の作品を読んで考えてみた。
 
 『パブロフの犬』1巻
 ああ、ごめんなさい。ものすごい勢いで気に食わない話でした。こんな感覚に数年前も陥ったのかなあ。数年前と随分趣味も変わっているような気もするのに、それでもコンスタントに俺の受け付けないものであり続けるって、逆の意味ですごいんじゃないか。
 
 ええと、具体的な話をすると、初めてのお付き合いの2人が色々試行錯誤しながら仲良くなる話、とそれ自体は別に僕の憎むところじゃないです。ただ、その二人の間に犬がいて、犬は女の子のことを自分の女だと思っていて、2人が仲良く(ええ、いろんな意味で仲良く)している間も、近くにいて邪魔臭いなあ、というのが俺がむかつく理由です。多分、その辺の犬と人間の感覚のギャップを楽しめればいいんだろうけど、僕は楽しめないのでどうしようもない。
 ていうか、そういう交流を行っている場所に、当事者と全然コミュニケーションの成立していない第三者が存在するという事態が俺は嫌なのです。だから満員電車モノとか痴漢モノとかもいまいち楽しめない人なのです。
 ももせたまみの場合は、そういう交流自体がネタになることってのは少なくて、あっても第三者が介在してなくて、読者が神の視点から見ている、というスタンスは崩れなかったように思う。どっちかというと事前/事後の豆知識的な下ネタになることが多いので、交流の行為自体は、当事者間で充分なコミュニケーションを成立させた状態で実行されている、と俺の頭の中で補完されるわけです。
 
 結論:俺個人は『パブロフの犬』の犬が嫌いだ。
    おかげで他の作品を評価する気がしない。