『SCAPE-GOD』と『風魔の小次郎』聖剣戦争編

 しつこく「ひつじさん」の話をします。24ページに「宇宙に浮かぶ無数の岩礁の上に立つひつじさん」のコマがありますが、このコマを見たときに、ふと『風魔の小次郎』聖剣戦争編で竜魔が戦っているシーンを思い出した。手元に現物が無いので確かなことは言えないが以下のようなシーンがあったと思う。

 十字剣を持つ正統の戦士・雄皇と戦い、十字剣の能力によって地の底深く埋め殺されてしまう竜魔。しかし、征嵐剣の正統の戦士である竜魔は、生き埋め状態から脱出し、雄皇を倒す。*1ただ、このとき竜魔は既に死んでおり、征嵐剣の意思によって敵を倒すまでのわずかな時間残留思念のようにその場に残っていたにすぎなかった……。

 こんなのを引くまでもなく、「本来従属物であるはずの武器によって逆に使役され、生死さえ本人の自由にならない」ってのはよくあるガジェットというか状況設定というかではあるんだけれど。『風魔の小次郎』聖剣戦争編が、「秩序」と「混沌」の狭間を行ったりきたりする正統の戦士たちが聖剣に使役されあがいているのを、太古から唯一秩序の戦士であり続けたところの小次郎が、車田正美節全開で「この世で一番最初に争いを起した張本人じゃねえかあ!」*2などの名言で、文字通り一刀両断にして、聖剣に縛られた戦士たちを解放する話であるのに対して、『ひつじさん』の方は剣に縛られて(と言うのはちょっと消極的すぎる表現だね。なん別の表現ないかな)、等比級数的に加速していく苦悩とかに立ち向かっていく、小次郎が現れる以前の時点の話である(しかも、この先小次郎に相当する人間が現れる可能性はほぼないと個人的には思う)。さらにひつじさんでさえも生死についても剣に律束され(物理的ではないけれど倫理的にね)、実現不可能なことが発生して「全知全能であり零知零能」という存在から「全知全能より一つ少なく零知零能よりひとつ大きい」存在へと変化してしまうことで、世界中に災厄がばら撒かれるという構図は、(全部は読んでいないけれど)『魔術師オーフェン』シリーズっぽいと思わなくはない。
 というか、何だ、電波から始まって、9割5分くらい嘘ついている気がするぞ。
 

*1:ちょうど生き埋めから脱出する辺りで、冒頭のひつじさんのようなコマがあったように記憶している。

*2:うろ覚えなので信用するな